でれでれ草 DereDre Gusa

でれでれなるまゝに、 日ぐらしPCに向かひて、 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書き付くれば、 あやしうこそ物狂ほしけれ。 ああ@でれでれ

全員別人!すり替わった影武者!

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続・美智子様の真実⑦@カトリックとミッチーズ(中)

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続きです。

戦国時代とカトリック

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 ローマカトリックと我が国の邂逅は戦国時代にさかのぼりますが、昔は(今もそうでしょうけど)日本にカトリックを広めて国教とし、支配下におくことを目的としていました。

欧州の他民族異人種に対する侵略は

1 宣教師がいく

2 商人がいく

3 最後は軍隊が来る

の3点セットで、地上の有色人種を億単位で消し去りましたが、日本への侵略は1と2までで止まり、3には至りませんでした。

理由はシンプルで、日本は戦国時代にあり、士農工商の区別なく武装していたため侵略は不可能だったからです。

 

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春夏秋は農耕を、冬の農閑期に戦争をするというのが、当時の日本人ライフでした。

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これをぶち壊したのが信長で、尾張という商業国家であったので豊かな財政をもとに傭兵を雇い、年がら年中戦争ができるようにしました。

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傭兵は正規の兵と比べて弱く、卑怯なふるまいも多かったのですが、それでも対戦国を披瀝させることはできました。

農民も、近くで合戦があるときけば、嬉々として落ち武者狩りにいくような猛々しい風潮だったので、艦隊で攻めてきて兵を上陸させても全滅するのが関の山。

島国なうえに統一国家ではないので、Aの国を占領しても、B,C、と周辺国家が黙っているはずもなく、スペイン帝国と言えど、また、カトリックといえど、アフリカやインカ、アステカのようにはいきません。

当時の宣教師が本国に

「艦隊を日本によこそうとしていると聞いたが本当か。やめるように王に進言するように。絶対に無理だから」

と書き送っています。実際無理だったのです。

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士農工商の「工」も、火縄銃を輸入していたのは最初の頃だけで、時期に自前で生産しだし、さらには改良した火縄銃は世界一の品質となり、欧州へ輸出するまでになりました。

水軍対策に、大船を鉄船で覆った空母を作らせたのは信長でした。

水軍も進んでいて、土瓶に火薬を詰め手りゅう弾のように投げ合う戦法が水軍の間では一般化しててたため、スペインの無敵艦隊がきても、上陸しようとすれば火だるまになるだけだったでしょう。瀬戸内海を通過することすらできず、陸地に降りれば世界最強の武士団と農民たちによって殲滅したのは必至でしたので、異国の軍隊が京都にのぼり占領することなど不可能でした。

 

なので、宣教師は内部からの占領を進めていきました。

改宗させ、ローマ教皇ヒエラルキーの中に取り込んでしまい、10パーセントの収入を修めさせ支配する。これです。

支配層には、文物や文化をもって広め、

下層階級には慈善事業によって広め、

慈善事業の活動と清貧さから信用を得て、支配層を改宗させ、あるいは改宗させなくとも、領内での活動を承認させることに成功しました。

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宣教師たちの清貧さには定評があり、秀吉も細川忠興もその辺は「坊さんと違う」と、信仰しなかったもののキリシタンの司祭を褒めていました。

 

慈善活動を熱心にしてたのは事実ですが、一方では日本女性を奴隷として海外に売りとばしてたのも事実です。

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支倉使節団が訪欧したおり、裸体で鎖や縄に家畜のように繋がれた見目麗しい日本女性が2万人ほど見たと証言しています。

ローマ法王に「このような、人道に反することはやめさせてほしい」と懇願しましたが、貴重な財源を獲得する商売をやめるよう働きかけた気配はなかったようです。

 

諸侯から給わった封土を勝手にローマ教皇に献上したこと、そして、キリスト教徒が日本の寺院を焼きうちしたことがきっかけで、秀吉がキレ、弾圧がはじまります。

信仰の自由を弾圧された、と、戦後の左翼よりの史観は主張していますが、

ローマ教皇を頂点とするキリスト教のみ認める一神教の国になるか」、

天皇を頂点とする、神道仏教などを包括した多神教的な社会でいつづけるか」

の二者択一で後者を選んだにすぎません。

この戦いは江戸幕府初期まで続きました。

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幕府は、当時「エコノミックアニマル」であった、商売しか考えてないオランダ人以外の外人は、めんどくさいので放逐しました。オランダ人の商売活動も長崎の出島に限定します。そして、維新を迎えます。

 

維新後、ふたたび日本にキリスト教が上陸します。 

戦国時代と同じように、慈善を通じて最下層に広がり、文化や教育を通じて支配層に広がっていきました。

そして、天皇家、正田家、カトリックをつなぐフロジャック神父が姿を現します。

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wikiより

ヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(Joseph Marius Charles Flaujac、1886年3月31日 - 1959年12月12日)はパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。1909年(明治42年)に来日し、結核患者及びその家族のための総合的な福祉施設を目指して活動し、東京における社会福祉活動に大きな足跡を残した。

以上

 

清貧さや慈善活動の功績によって、昭和天皇の信頼を得、正田家、天皇家カトリックをつなぎ、宮内庁にも人脈を持った神父でした。

フロジャック神父の神への愛も、弱者への愛も本物だったと思います。

が、今日まで日本に悪しき影響を与えている「正田美智子」の皇太子妃冊立は、この人がいなければ不可能だったのかもしれません。

 

 

もふもふもふ

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