でれでれ草 DereDre Gusa

でれでれなるまゝに、 日ぐらしPCに向かひて、 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書き付くれば、 あやしうこそ物狂ほしけれ。 ああ@でれでれ

全員別人!すり替わった影武者!

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続・白洲次郎の実父③@銀行でつなぐ敵国の輪とその下僕たち

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wikiより抜粋

株式会社横浜正金銀行

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①頭取に怪しい人が多い

二代目頭取 白洲退蔵、

白洲次郎の祖父

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こちらののっぺりした東アジアの顔から、「鼻高さん」の息子や、外人にしか見えない孫が生まれたのが不思議。

 

12代目頭取 児玉謙次

正田英三郎と正田富美夫妻の仲人

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高等商業学校附属外国語学校(のちの東京外国語学校)を経て、1892年高等商業学校(一橋大学の前身)卒。
会計検査院に勤務し、1893年横浜正金銀行(のちの東京銀行)入行。1922年同頭取。 大蔵省顧問、中支那振興株式会社総裁、貴族院議員などを歴任。1945年終戦連絡事務局総裁。1946年5月14日、貴族院議員を辞職した。(wikiより)

 

コメント欄より

Hiromiさま、貴重な考察をありがとうございます。 横浜正金銀行ですか。 白州父さんより数十年後ですが、12代目頭取の児玉謙次が児玉誉士夫の児玉機関の人で(上海に行ってた人です) 冨美と正田家の仲人をした人です。 このあたりの人脈は密に繋がっているのですね。 肌寒くなってきます。 猫に癒されます。

(以上) 

 

wikiには、児玉氏の出身地が書いてませんねー。出自がばれるから消したのかな。どこなんでしょ。

 

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②設立に当っては、1円銀貨の導入を支援するなど当時の日本の海外貿易・外国為替に大きな影響力を持っていたHSBCを模範とし、HSBC横浜正金銀行に協力を惜しまなかった。

あまりに外道ぶりがひどかった東インド会社をつぶし、名前を変えて拵えたのがHSBC=上海香港銀行。アヘン戦争などで得た富のために作られた銀行でした。

HSBCの出資にかかわっている企業が、ジャーディン・マセソン商会。

ジャーディン・マセソン商会の代理店がグラバー商会。

グラバーとの武器弾薬の購入のため、坂本龍馬がつくったダミー会社が海援隊

HSBCジャーディン・マセソン商会⇒グラバー商会⇒海援隊

「親亀の上に子亀がのって♪子亀の上に孫亀が~♪」

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龍馬の死後、岩崎弥太郎が、海援隊の人材とノウハウを受け継いだのが、三菱。

坂本龍馬などの浪人を支援したというより、対日本工作の出城だったと思われ。

 

「設立に当っては、1円銀貨の導入を支援するなど、、、、、」

一円硬貨はアルミニウム製ですが、これ、1円をつくるのには1円以上のお金がかかるとか。ようは、赤字なわけです。何故、アルミなんでしょ。

以前取り上げさせていただいた「フッ素の害」ですが、人体や環境に悪影響をあたえているフッ素が、ナゼ、水に混入され、歯科医院などでフッ素が奨励されているかの理由が、陰謀論系の本に書かれてましたね。

ようは、アルミニウムを生成するとき、廃棄物としてフッ素がでてくるとか。

あの方々流のリサイクルだそうです。

アルミニウムを生成する代表的な企業が、ロックフェラーだと書いてましたね。

 

第二次世界大戦が終わった時、火薬があまったので、化学肥料として「リサイクル」して世界中に拡散し、土壌汚染に貢献したとか。

ソ連のフルシチョフが失脚したきっかけは、土壌汚染を避けるため、アメリカ=ロックさんから輸入してきた化学肥料の使用を禁止しようとしたとか。

怒ったロックさんの一族が、プライベイトな飛行機を飛ばしてソ連に行き、出迎えたフルシチョフに「オマエは首だ」といいわたしたそうです。

ソ連の共産革命のスポンサーはロックさんでしたからね。

これは、ニューヨークタイムズのレーニンのインタビューのなかで、レーニンも認めていたとか。「悲惨な革命になるだろう、、、銀行家たちの応援を受けている、、、」など。 

冷戦時代、ソ連によって大韓航空が撃墜された事件で、撃墜された飛行機の乗客名簿に、反ロックさんの先鋒だったマクドナルド議員がいました

実は、大韓航空機は撃墜されたのではなく、ソ連の戦闘機に誘導されてソ連領に着陸させられ、乗客は男女に分けられ強制収容所に入れられたとか。

ソ連崩壊後、マクドナルド議員の生存が確認されたとか。すくなくとも2008年まで生存が確認されているそうです。

※詳細はこちら

 

こういうの読むと、イル美ちゃんたち、ロックさんもロス茶さんも、さっさと滅びろと思ってしまいませんか。神仏も同じ気持ちだと思います。生物の集合意識も同じことおもっているでしょ。人類にとって生態系にとって、不必要な連中だと思います。

たかだか数家族のために、地球が亡びるなんて(怒)。

 

コメント欄より

高知県のHP等によると、坂本龍馬の桂浜にある銅像は「昭和3年5月、高知県の青年グループによって建立され…」となっています。

この銅像が建立されるまで龍馬は土佐でも全くの無名だったそうです。青年グループが時に嘘や虚飾を織り混ぜながら「素晴らしい地元の偉人」と騙って募金を集めてまわったそうで…。

そしてこの「青年グループ」と濁されている人達がとても怪しいのです。どうも共産主義と連動していた様で、この銅像の建立後から、高知の青年によって学生青年運動、労働農民運動が煽動され、多くの逮捕者を出しながら昭和8年に鎮圧されるまで続いたそうです。 龍馬は共産主義者によって脚色された旗印だったのでしょうね。

以上

 

③1938年 HSBC香港上海銀行を傘下に収め、中国における徴税権を得る

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・だだっ広い荒野に日本が開拓融資して世界最大の工業地域になりました。満州経営は大成功で、治安はいいし、景気はいいしで、人が移住してきて大繁栄したのが満州帝国です。人はわざわざ景気の悪い住みにくいところへ移動はしません。

 

④戦後、東京銀行として再生した。

・維新後、HSBCのノウハウと助力をもって国策銀行作った⇒横浜正金銀行

大日本帝国が発展するにしたがって、銀行も大きくなった

・横浜正銀行がHSBCを飲み込んだ。経済成長した日本の企業が海外の企業を買収するのに似ていたのかも。

第二次世界大戦が勃発し、その後、日本は戦争に負けた。

日本が負けた要因は、工作員が情報をダダ漏れに漏らしていたこと。

工作員の最大たるものの一人である国賊吉田茂

対皇室工作も兼ねて、代々にわたる大久保系&吉田系の売国家業のご褒美に、孫娘が親王妃になったのね。

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太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂

白洲次郎疎開して、田舎でノンビリ暮らしていたらしい。いかに使えない奴だったかがわかりますね。いいエピソードはすべて捏造。本当の白洲を知っている人の証言によると、頭悪い、傲慢無礼、怠惰、、、、通訳以外には使えない人間だったんでしょう。

 

戦争になったので銀行が預かっている敵国資産は清算されることに。

対象となったのは、、、、、

①ニューヨーク・ナショナル・シティー銀行

※ざっくりまとめさせていただいてます。

https://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200408060000/

ロックフェラー家

ジョン一世が20代半ばにして世界一の精油業者になり、39歳で国内の5大富豪に数えられるには、よほどの理由がなければならなかった。

1970年

ジョン1世の弟のウイリアムが、ケロシンなど石油副産物の輸出をスタートし、スタンダード石油を創立。

1896年

イリアムの長男のウイリアムが、ニューヨークのナショナル・シティ銀行頭取ジェームズ・スティルマンの娘エルシーと結婚

1901年

イリアム次男パーシーエルシーの姉妹のイザベルと結婚

石油資本と金融資本が結婚した。

これが1990年代後半に、日本の庶民の銀行預金を収集してきたシティバンクの前身である。

 

(A)ナショナル シティー銀行

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※ウイリアム・ロックフェラー

※詳細はこちらから

1812年にシティー銀行が創立

1865年にナショナル・シティー銀行と改名

ウィリアム・ロックフェラーが投資を続ける

1893年に頭取スティルマンのもとで、ニューヨークでトップにたち、スタンダード・バンクと呼ばれた。

1909年にはモルガン商会が大株主に。

1912年にJ・P・モルガンJr(通称ジャック)が取締役。

 

(B)ファーストナショナル銀行

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1863年に創業。

ジョージ・F・ベーカー

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1912年まで頭取と会長を務めた。

ウォール街スフィンクスと呼ばれ、モルガン商会の鉄道利権について完全に沈黙を守る口の堅い人。

チェース・ナショナル銀行の5万株を購入。モルガンとスティルマンの親友。

イーデス(ジョージ・F・ベーカーの孫)

ロスチャイルド一族のウォール大バンカーであるジェイコブ・ヘンリー・シフの孫と結婚。

この銀行の大株主で重役だったのが、ヴァンダービルト一族のペイン・ホイットニーという顔ぶれ。

1955年

(A)ナショナル・シティー銀行

(B)ファーストナショナル銀行

(A)と(B)が合併。

ファースト・ナショナル・シティー銀行ニューヨークに。

1976年

シティバンクに改名、

表記も City Bank ⇒Citibank に変更。

世界の3大財閥であるロスチャイルド、ロックフェラー、モルガンが合体した金融機関。

 

香港上海銀行

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・アヘン貿易で得たお金で創立された銀行。

・最大の株主はアヘン王・デヴィッドの5男のアーサー・サッスーン。

・出資者は、サッスーン一族を中心に、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイドに関係する役員で構成。


HSBC出資者

・デビッド・E・サッスーン商会、

・エヴリン・ベアリングベアリング商会、

・ディン・マセソン商会、

バークレイズ銀行ロスチャイルド人脈の役員によって構成)、

全員が高位フリーメーソンのメンバー。

東インド会社の蛮行が世界の非難を浴び、正式に東インド会社は消滅。

 ↓

HSBC香港上海銀行)へ改名、

・サッスーン財閥、

ロスチャイルド財閥、

ジャーディン・マセソン商会

などが引き継いだ。

 

③チャータード銀行、 

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・中国語名は渣打銀行 、

・英語略称SCB、あるいはStanChart LSE: STAN

・ロンドンに本拠を置き、世界70ヵ国に事業ネットワークを展開する世界的な銀行金融グループである。

香港ドル発券銀行の一つ。

ジョン・メージャーを輩出した。
・同行はFTSE100種総合株価指数の採用銘柄であり、筆頭株主シンガポール政府系ファンドのテマセク・ホールディングスである

 

沿革

1969年

イギリスの海外銀行である

・Standard Bank of South Africa 英領南アフリカスタンダード銀行

・Chartered Bank of India, Australia and China インド・オーストラリア・中国チャータード銀行

合併により設立。

 

(A)スタンダード銀行

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1862年、スコットランド人ジョン・パターソンらにより設立。

翌年、南アフリカポートエリザベスに店舗を開設。

1890年代~1910年代にかけてアフリカ全土に支店網を広げたが、中には業務遂行が困難となり閉鎖された支店もあった。

1950年代半ばには、アフリカで約600拠点を数えるまでになる。

1965年、英領西アフリカ銀行との合併により、ナイジェリア、ガーナ、シエラレオネカメルーンガンビアへも支店網を広げた。

 

南アフリカをはじめとするアフリカ各国に積極的な業務展開を行い、その後アジア数ヵ国にも支店を開設。

1880年、日本・横浜に、初めての駐在員事務所を設立。法人事業を展開。

1923年の関東大震災により、多くの現地行員を失う。

チャータード銀行は、多くのアジア諸国が日本に占領された第二次世界大戦中に、その影響を受けている。

1949年、大蔵省より営業許可証を取得。


(B)チャータード銀行

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1853年、ビクトリア女王からのジェームズ・ウィルソンへの特許状交付に基づき設立。1858年、最初の支店をカルカッタボンベイに開設、上海にも進出。

1859年 香港に支店、シンガポールに出張所を開設。

1862年以降は、香港での紙幣発行銀行となる。

1860年代~1900年代 アジア全土へ支店網を広げる

1880年、横浜に出張所を開設。

1900年代初頭、ニューヨークでの営業許可を得た最初の外国銀行となる。

1957年、イースタン銀行を買収。イエメン、バーレーンレバノンキプロスカタールアラブ首長国連邦へも支店網を広げた。

神戸市の旧外国人居留地にあるチャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店)は近代建築として著名である。

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スタンダードチャータード銀行

(A)スタンダード銀行

(B)チャータード銀行

1969年、上記2行の合併により誕生。

ホッジ・グループ及びウォレス・ブラザーズ・グループの買収。

⇒ヨーロッパのほか、アルゼンチン、カナダ、パナマ、ネパール、アメリカにも新たな支店を開設。

アメリカの銀行3行を買収。

カルフォルニア・ユニオン銀行の買収⇒ブラジルおよびベネズエラ進出の契機に。

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1980年代、すでに安定した事業基盤を築いていたアジア・アフリカ・中東地域において、コンシューマーファイナンスコーポレートファイナンス、トレジャリー業務等のコア業務への専念を決意。これにより、特に欧州・米州・アフリカ地域における投資事業をリードする大手銀行に成長。この期間、大規模な再編を行い、この結果、経営陣が大きく変わり、主事業がさらに強化された。

1980年代末には、イギリスのロイズ銀行スタンダードチャータード銀行に対して敵対的買収を仕掛けたものの、失敗に終わり、同行は独立を保つ。

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1990年以降、ベトナム(1990年)、カンボジアおよびイラン(1992年)、タンザニア(1993年)、ミャンマー(1995年)へ進出するなど、さらなる拡大を図る。

現在では北朝鮮を除くアジア・太平洋地域のほぼすべての国々に事業拠点を置いている。

 

④オランダ系銀行2行

 

この面々をみていると、日本が何と戦ったのかが、見えてきますね。

 続きます

 

相手が大きすぎた

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